今学期最初の授業は「Applied Sports Policies」。去年、追試しなければいけないくらいに追い詰められたカナリ手ごわい授業「Sports Policies」の第二弾的な存在の今学期のこの授業です。去年のその授業は半分くらいしか理解出来なかった。。
イギリスのスポーツポリシー(政策)は、経済的、政治的、社会的風潮の変化と共に1980年代から発展してきたのだけど、この授業はそのスポーツポリシーの理解を深めるというもの。
ポリシーとはなんぞや?から始まり、スポーツポリシーはどのように(ポリシーユニヴァース、ポリシーコミュニティ、ポリシーネットワーク)存在しているのか?マルクス主義だとか、ピュルラリズムとか、コンサーバティブとか、それらの主な政治的特色は?とか訳の分からない言葉や説明が結構出てきて、幸運にもはちゃめちゃな内容になってます。
無理やりだけどサッカーの内容の事を書きたいから、話を少し変えますが。イギリスのスポーツポリシーはとってもとっても複雑。その理由は、イギリスと言うお国柄にある。イギリスは知っての通り、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの四カ国からなっている連合国。その他にも、マン島だとかジャージーだとか良く分からないけども、一概にイギリスのルールが通じないような場所も数箇所ある。
だから、例えばサッカーではそれぞれ四カ国の代表に分かれるけど、それ以外の競技ではイギリス代表として出場したりだとか、イングランドとイギリス両方に似たような協会があり一体どのあたりまでがどこの組織の管轄なのか分からない、ハチャメチャになっているのが現状。
サッカーで言えば、例えば世界12カ国の代表が集まるある協議の際に、FIFAはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの四カ国に対し、一国の「イギリス」として出席するようにしか認めていないため、四カ国の意見を一つにまとめなければいけないなんて言う事があるらしい。この場合、サッカーで力を一番持っているのは勿論、イングランドだから、イングランド主体の考えが通る事になる。
イギリスのスポーツ政策は、基本的にこれまで「Sports For All」と言うスローガンというか、理念で行われてきました。誰でもスポーツが出来る環境作り、全ての人に平等な機会を与える為。
サッカーにしても、「Football For All」で、全ての人にサッカーの機会を与える事をゴールに、例えばサッカー協会などはずっと活動してきた。その結果、やりたければ誰でもサッカー出来るような環境が出来上がっているわけです。
それが去年、コヴェントリーで行われたあるカンファレンスで、イングランドサッカー協会のトレバー・ブルッキング卿(Director of Football Development)が、これからの時代は今までのような「Sports For All」の理念では駄目だと仰ったそうです。そうレクチャーで講師が言ってた。
イングランドではもう、そのゴールは達成したという事かもしれない。では、これからの時代はサッカー協会にとってどんな使命が与えられるのか?イングランドサッカー協会の「強化理事長」がやらなければいけない事は何なのか?
そう考えた時に出てくるのが、「肥満」、「(特に若者による)反社会的な行動(Anti Social Behavior)」、「若年の妊娠」、「犯罪」、「若者」、「リスク社会」などと言った現在イングランドが抱えている深刻な社会的問題だ。
僕がイギリスに来て一番最初に感じた事。
まず、飛行機がヒースロー空港に向かって着陸準備に入った時、機内の窓から見た一番最初のイギリスは、緑が色々なところにあって、建物が茶色で、「綺麗だ〜!」と言うのが第一印象。その後しばらくは、レンガ造りの建物、町並み、緑がたくさんある事にまたもや「綺麗!」という感想。
でも、またしばらくすると、今度は、「おデブさんがとっても多い」、「メチャメチャに破壊されている公衆電話が多い!」、「タバコ片手にベビーカー引いてる若い女の子がとってもとっても多い!」。
家の前で殺人事件が起こるわ、公共物を破壊しまくる若者は多いわ、10代前半で酒、タバコ、ドラッグに染まっている人が多いわ、子育てを完全に諦めた親が多いわ、などでネガティブな部分が相当見えてしまった。これは僕が住んでいるポーツマスと言う町柄だからかもしれないが。。
これらは今のイギリスで深刻な社会問題だ。メディアでも相当取り上げられている程。強者と弱者の差がどんどん広がってきているのもそう。つまり、サッカーと言う国内最大人気のスポーツを駆使してこれらの社会問題をどう改善していけるかが、これからサッカー協会がチャレンジしなければいけない事なのだそうです。
だから、これからはトレバー・ブルッキング卿と言えども、もこれらの深刻な問題に改善が見えなければお金を貰う事は出来なくなるのだ。ただただ、これまでのように「サッカー・デヴェロップメント」をやっていれば良いという訳にはいかなくなった。
サッカー(スポーツ)を使って、いかにこれらの社会的問題を改善出来るか?これからはそんな時代になっていく。これはとっても「チャレンジ」な事と思う。それと共に、2010年のロンドンオリンピックに向けてやらなければいけない事もある。
それは勿論、開催国のイギリスがいかに多くのメダルを取れるか。その為には「エリート主義」で行く必要がある。これはサッカーに限った事では無く、イギリスのスポーツ全体に言える事か。
サッカーの「普及」、「発展」はある程度のレベルまで出来た。だから次は社会問題を改善するために何かしなければいけないし、「出来る」のがサッカーというスポーツと考えているのかもしれない。
さて、日本。日本サッカー協会が謳っているように、現在の日本サッカーは「勝利」と「普及」に向かって動いている。まずサッカーを日本国内に普及させなければいけないという理念。イギリスの「Sports for All」の理念に似ている。
まだまだ日本のスポーツ界は「サッカーの普及」というレベル。これから何十年か経ち、その普及がある程度まで行ったら、次に来るのは多分、イギリスのように社会問題を改善する効果的な「手段」。そうやってサッカー、スポーツが活用されるようになる(はず)。と言うか、そうなうなるべきだと思う。
だから、やっぱり「スポーツ政策」を考えるにあたっては、社会情勢を深く理解し、予測する事が大事だ。日本のサッカーの普及はこれから徐々に自然とされていくと思う。だったら、その次の社会問題は?どんな事がこれらか問題になるのか?
僕がずっと以前から直感で思っていたのは、日本もそのうちイギリスのような社会になってしまうのではないかという事です。
政策はまた、色々な問題解決の為にスポーツ以外の様々なポリシーコミュニティの組織と協力して行っていかなければいけない。例えば、「肥満」にアタックする場合には、「スポーツ」というポリシーコミュニティと「学校」というポリシーコミュニティが協力しなければいけない。
なんだか良く分からなくなってきたので、強引にこの辺で止めておこう。やっぱりスポーツポリシーの授業は難しそう・・・。


